自己紹介 続き その3

みなさん、こんばんは。 

いかがお過ごしでしょうか。 


新型コロナによる影響ですが、 日本は自宅待機が5月末まで延長になったそうですね。  

パリの方は動きが出てきており、なんと私も先週から勤務を再開し始めました。 


先々週の土曜の朝にボスより突然連絡があり、早速3日後から勤務再開。笑 

ボスの方も政府からは金曜夜に突然の連絡があったそうです。

 とにかく突然私のコンフィヌモン(自宅待機)は終わりを告げましたが、 

とはいえ、まだフルタイムの勤務は感染のリスクが高まるため、週2、3日のみです。


☆最近完成したマスク。力作です!



 パリでは5月11日よりレストランやカフェ等以外の商業施設は再開可能になります。

 カフェ等は6月2日以降の再開を今後検討していくそう。 

とにかくまだまだ油断はできない状況ですが、経済的な面においても動き出す必要性が出てきたということでしょう。 

私も引き続き感染に注意して過ごしていこうと思います。 




 それでは、そろそろ本題の自己紹介続きにうつりますね。笑


 占いを見てもらい、 

「あなたは海外に行く人。日本に今いるべきじゃない。 刺繍も向いている。学ぶなら勇気を出してお金もかけて絶対パリに行くべき! 東京にいても何も始まらない。パリに行くことで新しい人生がスタートする」  


と、言われ、背中を押された私はパリ行きを一人静かに決意。 

決意した同じ週あたりに私の両親が車でドライブがてら東京に来ました。

 その際、引っ越す予定のマンションを案内する予定だったのですが、 私は両親に話すきっかけをなかなか作ることができず、 車に乗ったあともしばらく言えずじまい。


 少しのドライブのあと、マンションの場所を聞かれた時でしょうか、 ようやく決意を伝えるチャンスが訪れました。


 私「私、引越しはやめたの。」


 両親「え?今のところに住み続けるの?


 私「ううん。パリに行くことにした」


 両親「えー?!、、、」 


 今でもそれを告げた時の車が走っていた場所(環七沿いのまもなく246)、 その時の景色、両親の表情、全て昨日のことのようにはっきり覚えています。笑


 もう両親との大きな喧嘩を何度もしてから1ヶ月は過ぎており、 離婚という急に訪れた悲劇にもお互い慣れてきた頃でした。  

まだ離婚届を出す前の色々調整をしている時期でしたが、 最初は離婚に関して全く無知だった私も、 いろんな人が知恵を授けてくれ、助けて、支えてくれ、 今考えてもミラクルとしか思えないくらい、いろんな条件が良い方向に進んでいました。


 そんな時期だったので、両親も私が意外にしっかりしている様子を見ていたこともあって、 もう反対はしませんでした。 


そして晴れて両親の応援も得ることもでき、パリ行きへの第一歩が進みました。


 両親の次は、お世話になった不動産屋さんにマンションのキャンセルの連絡をすることでした。

 担当の女性は本当に優しく親切な方で、とても親身に対応してくださっていました。 

いくつもの物件を一緒にまわり、やっと見つけた素敵な物件。 


それは、当時住んでいた最寄駅の隣の駅で、すぐそばには大きな池のある公園もあり、 とても素敵なところでした。 休日はその公園でゆっくり朝食を食べるのもいいなぁ、なんて妄想していました。  


契約日を翌日に控えた前日に私はまず電話で彼女に伝えました。 

ドタキャンすることで、どれだけ彼女に大きな迷惑がかかるかが想像できたため、 本当に申し訳なく、話しながら涙が出てきました。

 最終的に彼女も理解してくださり、パリ行きを応援してくれました。 



☆当時住んでいたマンションのそばのお家に咲いていたバラ。こんな美しいお花をあちこちの家でみることが出来るような、今でも大好きな素敵なエリアでした。



 そんなマンションの契約をキャンセルした翌日、本当にびっくりするような事件が起きました。


 朝のニュースを見ていたら、なんとその住もうと思っていたエリアで殺人事件があったと言っているではありませんか。 

とにかくこんな近所でそんなことが起きたことにまずびっくり。

 そして目も釘付けで見ていたら、え?! なんと、その被害者の自宅は私が住もうとしていたマンションと同じ町内だったんです! 

しかも死体が発見されたその現場とは、私が行こうと思っていたその素敵な公園でした。


 そのエリアは、渋谷にも電車で10分程度で、便利でありながら緑も多く、 殺人事件が起きるような、とてもそんな雰囲気なんて想像ができないようなところです。 

そんなところで、私がキャンセルをした翌日に起きた殺人事件。

 

もしパリ行きを決意せず、契約をしていたら、、、。 

後からわかりましたが、その事件の加害者もなんとも同じ町内でした。 


その頃の私は、離婚という悲劇に戸惑い、絶望に近い気持ちで過ごしつつ、 その反面、どこからか湧いてくるなんとも言えないエネルギー?と、 とにかく何かに守られているような、不思議な感覚を度々味わっていました。 



 私が日本で一番大好きな神社は、港区神谷町にある、愛宕神社なのですが、 ここでもいくつか不思議な体験をしています。 


私はおそらく27歳あたりからずっとこの神社に通っており、 その頃から悩みごとなど辛い時にだけおみくじを引いてきました。 

その度にいつも「大吉」しかでたことがなく、 私はこの神社は大吉が多い、優しい神社なんだなぁと思っていたのです。


 結婚してから一度仕事を辞め、、わざわざ神谷町に行く機会も減ったこともあり、 しばらく愛宕神社に行かない時期がありました。 

失礼なことに初詣もその頃は家のそばの神社で済ましていました。笑  


そんな結婚している時に一度フラッとお参りに行ったことがあります。 そして特に悩みもないのにおみくじを引いた私。 

 その時なんと初めて、「吉」が出たんです。笑 

とてもショックで、でもなんていうか、確かに少し甘えたような日々を過ごしていたので、 「毎日を大切にしなさい」とでもお説教されたような気分でした。笑 

そしてやっぱり愛宕神社は私をしっかり応援してくれていたんだ、と思いました。 

その後はちょくちょく結婚している時もお参りに行くようになりましたが、 おみくじを引くことはありませんでした。 


そしてこの離婚騒ぎの頃。 パリ行きも決まり、いよいよ離婚届を提出するその前日。  

やっぱり、また一人になることへの不安、元の苗字に戻る寂しさ、 いろんな思いがよぎり、ナーバスになっていました。 


その頃の職場が新橋だったため、愛宕神社にもとても近く、 その日はなんとなく愛宕神社経由で帰ろうと思い、いつもとは反対の道を歩き出しました。

 愛宕神社が近づいて来るにつれ、愛宕神社の旗がたくさん道端に現れました。 なんだろう?と思いながら進んでいくと太鼓の音も聞こえ始め、だんだん騒がしくなっていき、 なんと、偶然にもその日は愛宕神社の千日参りのお祭りの日だったのです。


 私は慰められるような思いで、愛宕神社の出世の階段を上がり、 神社に到着するとそこにはたくさんの人と、たくさんの鬼灯(ほおずき)が売られています。 

私はとても嬉しくなり、ドキドキしながら久しぶりにおみくじを引いてみることに。

 その結果は、なんと「大吉」でした。


 書いてあることもやっぱりドンピシャで、不安で押し潰れそうな気持ちがどれだけ励まされたことでしょう。

 そして、私はパリに行く前に愛宕神社でお祓いをしてもらおうと決めていましたが、 その日に鬼灯を買うとお祓いもしていただけることがわかりました。 


結果、一石二鳥?というか、愛宕神社に励まされ、お祓いも済ませて、 翌日の離婚届提出に挑んだのでした。


 離婚届からパリ行きまで2ヶ月くらいだったのですが、 苗字も変わるため、パスポートやビザなどもそこから取り直さなくてはならず、時間がありません。

 私は離婚届を提出したその足でパスポート作成の手続き、 他にも覚えていませんが2、3件、手続きのはしごをし、 結婚指輪と婚約指輪は、区役所の通り沿いのお店で売りました。(wow!笑)


 こんな勢いとパワーが持てたのも愛宕神社のおかげかなと思っています。

 こんな感じでいくつかの不思議体験をしながら、 私はいよいよパリに行くことになりました。



☆ルサージュに通い始めて1ヶ月を過ぎたあたり。新レベル2の宿題をしているところを同居していたマダムが撮ってくれました。



 パリに到着してからは、人生で初めてなくらい、 真面目に刺繍と向き合う修道女のような日々。

 毎日14時間くらい刺繍していたのではないでしょうか。 

ルサージュから寄り道もせず家に直行し、そこから深夜になるまで刺繍の宿題をこなします。

 運がいいことに、お酒が好きな私に対して、 当時できた友人達は見事にお酒が飲めない人ばかりでした。 


そんなミラクル?もあって、見事に刺繍ばかりの生活を過ごしました。 

そして、OLの頃はどちらかというと天然的な扱いが多かった気がするのですが、

 ルサージュでの私は、自分で言うのもナンですが、とても優等生でした。笑


 無遅刻無欠席、宿題はパーフェクトにこなします。 

少し厳しいタイプの先生から「カオリなら出来る」と言われた時、 どんなに嬉しかったことでしょう。 


そんなふうに私のパリ生活は刺繍三昧、 刺繍に集中することで離婚による心の傷を癒していきました。 


またパリではまたミラクルの連続で、特に人とのご縁に恵まれていました。 

そしてウルトラモッドで働く機会を得ることとなり、今に至ります。


 離婚からまもなく4年が経ちますが、 元旦那さんとも和解して、今は私を応援してくれる良き知人の一人です。 

 そして今の私は、ご縁のあったパリに心から感謝して、いろんなことは起きますが、

 刺繍三昧の人生を楽しんでいます。


私は何かをすごく努力してやり切ったことがないコンプレックスと自信のなさから、

今までずっと本当にやりたいことから目をそらして生きてきた気がします。

今回、この離婚という一見不幸な出来事から行動する勇気が生まれ、とても遅咲きではありますが、

今は自分らしく生きることができるようになりました。


 辛いことがあった時は、自分を成長させるチャンス。 

行動を起こすことはとても怖くて勇気のいることですが、 いざ行動を起こしてみたら、自分でも想像のつかなかったような新しい世界が待っているかもしれません。 



今現在もコロナウィルスという、未曾有の地球規模の危機が訪れていますが、 

ピンチはチャンス。 

もしかすると、私たち人類が新しく変わる機会が訪れているのかもしれないですね。 


 今回この記事のために久しぶりに昔の写真を引っ張り出しましたが、

 あの頃はもう歳だと思っていたのに、写真をみると今より若い!笑 


 「いつだって今日が一番若い」 

この言葉はどこかで聞いてから、いつも心に留めるようになりましたが、 

今回改めて本当にそう思いました。


 年齢を理由に何かを諦めるなんて、もったいなさすぎます。 

どうかみなさんも、歳のせいにして諦めることなく、 少しでも興味があるならば、行動に起こしてみてください。 




☆1度目のパリ、刺繍留学が終わり、いよいよ一度日本に帰国する飛行機の窓から見えたのは、突然現れた大きな虹でした。ビザが確実に取得できる保証もなく不安な気持ちでの帰国でしたが、パリが待ってるよー!と応援してくれているように思え、涙が出てきたのを覚えています。



 今回は結局とても長い文章になってしまいましたが、 最後までお読みいただきありがとうございます。 


 次回は刺繍関連の記事にしたいと思っています☆



それでは自宅待機がまだまだ続きますが、 

どうかみなさんも有意義にお過ごしできますように。 

Kaori KONISHIKAWA

パリを拠点に刺繍家として活動。KAORI embroideryという名前にて、手刺繍のアイテムを自身のオンラインショップ、パリ、日本のセレクトショップにて販売中。パリ2区にある老舗手芸店『ULTRAMOD』にも勤務。活動の様子は主にインスタグラムにて発信。自由なスタイルの刺繍が好き。