(続き)パリ、私の引越しストーリー

  みなさん、こんにちは。

 いよいよ、11月も最終週に突入。 

年の瀬が近づいてきて、ドキドキしてきた私です。 

みなさんはいかがおすごしですか。 


そして 私の引越しストーリー。 

前回の続きです。  



現在の家のそばにあるストリートアート。「言葉を信用してはならない」と書かれています



2度目のパリで最初に住んだのは、 

パリ13区のすぐ隣街、ル・クレムラン=ビセートルでした。 


こちらは前回もお伝えしたMixBで見つけたアパルトマン。 

パリでよく見かけるオスマン建築などの古いタイプではなく、 

近代的な作りのアパルトマンで、フランス式6階でした。 

日本では7階にあたります。  


フランスの階数の数え方ですが、 

日本でいう1階は0(ゼロ)階となり、カウントしません。 

なので、日本でいう2階はフランスでいう1階になります。  


話を戻しますが、 私の借りたアパルトマンは2ベッドルームに大きなサロン(リビングルーム)、 

バスタブにオーブン付きキッチン、そしてベランダもある 素晴らしい物件でした。 

当時の私の予算は700ユーロ以内。 

このお部屋は予算よりかなり低く借りることができた とても良心的な物件でした。 


オーナーは日本人の女性で、別宅に住んでいたため、 

基本この広い住まいに一人暮らしでした。 


 ちなみに現在のパリの一人暮らしの相場ですが、 

15平米程度の狭いスタジオであっても、 

だいたい700ユーロ前後はするのが普通だと思います。 

日本円でいうと、だいたい87,500円。(1ユーロ=125円で計算)


 洗濯機がないところも多く、 またバスタブはなく、

ほとんどが狭いシャワーのところが普通です。 


ルームシェアでも、パリ市内で独立部屋でそこそこの広さがあれば、 

600ユーロ前後するのではないでしょうか。


そんな環境の中、 私の2度目のパリスタートは、

好調なこのお部屋での一人暮らしから始まりました。


 毎日朝日を眺めながら目覚め、 夜は大きなお月様を愛でながら過ごす幸せな日々でした。

 ただ、この安さには条件があり、 基本はルームシェアということでの価格だったため、

 時々短期でお部屋を借りる方がいた場合にはシェアとなります。 


3ヶ月も過ぎた頃、3週間程度のルームシェアがいよいよ始まりました。 

アパルトマン自体も広かったので、 特にルームシェアに不安を感じていなかったのですが、 

いざ始まってみると、一人暮らしに慣れてしまった私には、 

キッチンを使うタイミングが重なり、待たなくてはいけなかったり、

 シェアする方との生活上での価値観の相違などで、 

だんだんとシェアが辛いと感じるようになりました。 


私が学生であったり、自由な時間が多い立場であれば 特に問題なかったのかもしれませんが、 

日中も常に人と接する仕事のため、

 帰宅後は一人で静かにする時間とスペースが私には必要でした。  


結果、私は5ヶ月目に引越しを決意。

 再度mixbで見つけたのは、 ちょうどいいタイミングで募集をしていた、小さなスタジオでした。 

15平米もない、フランスでいうところの1階です。

 場所は17区のBrochant(ブロシャン)というところで、サン・ラザール駅まで 徒歩20分程度の便利な立地。

 少し前までは、あまり治安のよくない下町エリアだったのですが、 

最近では新開発により人気となったバティニョルがそばにあったりして、 注目されているエリアです。 



★現在の住まい、ベルヴィルから勤務先までは約4キロ。ゆとりのある日は歩いて通勤してます。これは途中で通るレピュブリック広場前。




 こちらも条件がある物件で、 このお部屋に住んでいる日本人のマダムが日本へ一時帰国中の 4.5ヶ月のみ貸し出しということでした。

 家賃は前回の家賃と同じ、予算より低く住むことができました。 

ただ、陽当たりは良くなく、 とにかくとても狭いお部屋でした。 

おそらく私の人生の中で一番狭いお部屋だったと思います。 

この部屋を訪れた知人は独房みたいだね、と冗談を言ったほどです。笑 


とにかく私にとっては仮住まいのつもりだったので、 

ここに住みながら次のお部屋をゆっくりしっかり探そうと思いました。


 ただ結果からいうと、12月の忙しい時期に引越しをし、

 だんだんと疲労もマックスを迎えた上に、 狭い部屋で過ごすことは精神的にもかなりキツく、 

結果、少し辛い4.5ヶ月となりました。

それも今となっては笑い話です。


 さて、本格的なお部屋探し。 

友人から教えてもらったのは、日本でいうSUUMO(スーモ)のような サイト、Selogerでした。 


Appもあり、スーモのように地域や予算を設定して探すことができます。 

沢山の画像を見ながら物件を探すのは、 日本でもそうですが、

いろんな想像が湧き、とても楽しいものです。 

そこでいくつか気になる物件を見つけたのですが、 

そんな時、厳しい現実の話を知り合いから聞くこととなりました。  


ここで見つけた物件を内見する際、予約を取るのですが、 

通常、内見は自分以外にも、問い合わせがあった方達と同時に行うそうで、 

人気な物件であったりすると並ぶこともあるそう。 

そして、オーナーは内見者の中から条件のいい人を選ぶため、 

収入が高い方や安定した収入がある方はもちろん有利。

 ただでさえ、パリの物件は少ないため競争なのに、

 言葉が不自由な外国人、かつ、そこまで収入の高くない私には圧倒的に不利です。 


その知り合いが言うには、 私が最初に見ていたようなMIxb等の方が、

見るのは日本人だけでライバルもまだ少ないので有利と言うことでした。 


また不動産を通して探す方法もあったのですが、 

予算が低めの私にはなかなかよい物件が見つからず、 

不動産のサイト、MixB、jimomo(掲示板サイト) ovni(日本語の地元フリーペーパー)を毎日チェックする生活が続きました。  


私も予算を750ユーロ以内まで変更しましたが、 

それでもなかなか見つからず、 焦り出した頃、友人から夢のような話が来ました。 


それは、その友人が5月に日本に帰国するため、

 彼女が約2年住んでいた、マレ外れのスタジオを私に譲るというものでした。 


 そのエリアはパリ3区、Arts et Metier(アルゼメティエ)駅そばのとても便利なエリアで、 

かなり人気の場所。 

東京でいうなら、中目黒、祐天寺あたりでしょうか。笑  

25平米くらいあるお部屋の相場からいうと、 おそらく900ユーロくらいはするはずですが、 

そのお部屋も私の予算750ユーロ以内の良心的な価格でした。


 建物はなんとも驚きの中世17世紀(1600年代)、 築400年です!

 マレ地区は中世の建物が多く残るエリアなのですが、 

そのアパルトマンもまさにそんな建物でした。 

 とはいえ、建物内は綺麗に改装されているので、そこまでおどろおどろしさはありません。 


私のお部屋は少し天井が低かったのですが、 壁も白く塗られ、日当たりも良く、

 前の独房のような狭さのお部屋に比べたら、最初は天国でした。


 キッチンもお部屋とは別れており、洗濯機もあり、

 狭さがだんだん気になりはしましたが、 家賃からいえば、上出来でした。 

エレベーターのない、フランス式3階なので、 引越しの時は大変でしたが。  


ここに1年は暮らせると思ったのもつかの間、 

オーナーと契約のために会った際、彼から伝えられたのは、 

部屋を売ることになるかもしれないから、 その際は半年以内で出て行ってもらうことになるかもしれない、というショッキングな話でした。 


ただし、好条件でないと売る気は無いので、 いつ売れるかはわからないということ。 

友人から紹介してもらったのは、2月下旬、

実際の契約のため、彼と会ったのは4月中旬。 


もっと早くオーナーは私にそのことを伝えられはずなのに、 

引越しギリギリになって伝えるのは少し卑怯だと思いました。 


でも引越しまで1ヶ月を切った中、 新しい物件を探すのはとても難しいので、

 早く部屋が売れないことを祈りながら、 

とりあえずはそのマレの物件に引っ越すことに決めました。 


そして、5月より晴れて私のマレ生活がスタートしたのですが、 

住み出して4ヶ月目を迎えた9月初旬、 オーナーより家を売ることが決定した旨の連絡が来ました。


 そして私はまた!家を探さなくてはいけなくなりました。 

その週末、友人宅で行われたご飯会で私がその話をすると、

 なんと、友人が「私、いいお家知ってるよ!」と言ってきたのです。  


それが、3週間前に引越しをした、今現在の私の住まい、 

ベルヴィルのこのアパルトマンです! 


本当に奇跡のようなのですが、 お部屋を探さなくてはいけなくなったその週末には

 私は次のお部屋を見つけることができました。 


そしてそのお部屋は、一番最初に住んだクレムランの家のように、 

広いサロンにベッドルームが2つあるとても美しいアパルトマン。 

フランス式1階ですが、日当たりも悪くなく、 

私の過ごすお部屋は大きな刺繍枠をおいても 特に問題のない、12畳はありそうなお部屋です。 


オーナーはドイツに住んでおり、 パリに戻ってくる以外は基本一人暮らし。 

家賃ももちろん予算内の良心的な金額です。 


このBelleville(ベルヴィル)という場所は、 19区にあり、

「バラ色の人生」で有名なシャンソン歌手、 エディット・ピアフが生まれ育ったところで、 

それこそ最近まで治安が悪い下町と呼ばれてきました。 


★自宅から徒歩5分の距離にあるエディット・ピアフの誕生地。アパルトマンの前には彼女が生まれたことが記されています。




 しかし現在ではNYのブルックリンのように アーティストも多く住むエリアになっていて、

 とても活気もあり、チャイナタウンも近く、物価も安い、最高の立地。 


人によって好き嫌いはあると思いますが、 今の私には、ベルヴィルはとても惹かれる街なんです。 


すぐに美味しいお豆腐屋さんも教えてもらい、 

今では毎日、プルプル出来立てのお豆腐を食べられる喜び。 

地元の人が通う安くて美味しいケバブ屋さん、 雰囲気の良いカフェ、美味しいパン屋さんも見つけました。 



★これも比較的家のそばにある、お気に入りのパティスリーYann Couvreur



近くにはビュット・ショーモンという大きくて素敵な公園があり、 

まだ行ったことのない、フロマージュリー、 ワイン屋さん、チャイニーズレストランなど、 

まだまだ発見していない楽しい場所が私を待っています。 


 今のアパルトマンも、いつまで住めるかはわかりません。

 けれどとりあえず1年は保証されています。 


 なので、これからしばらくはお部屋探しのことは忘れ、 

今の生活を思いっきり楽しみたいと思っています。  


パリでのお部屋探しは本当に大変。

 私のお部屋探しも結局半分は友人からの紹介でした。 


そんな私のアドバイスとしては、 

いろんな人にお部屋を探していることを伝えておくこと、

それがすごく重要だと思います。 

 お部屋もご縁。


 すごく長くなりましたが、 

私のパリお部屋探しストーリーにお付き合いいただきありがとうございました。笑 


少しでも以前の私のような誰かのお役に立てたら嬉しいのですが、

どうでしょう。



また、明日から新しい1週間の始まり。

 みなさんにとっても素敵な週になりますように☆  

Kaori KONISHIKAWA

パリを拠点に刺繍家として活動。KAORI embroideryという名前にて、手刺繍のアイテムを自身のオンラインショップ、パリ、日本のセレクトショップにて販売中。パリ2区にある老舗手芸店『ULTRAMOD』にも勤務。活動の様子は主にインスタグラムにて発信。自由なスタイルの刺繍が好き。